武道空手とは

極真空手
武道とスポーツの違い、ウエイトトレーニングではない力の養成。

一度、辞めたり、休んでいたり、様々な理由で空手、武道から現在、遠のかれている方々が多いと思います。
ですがもう一度、武道をやりたい精神鍛錬をしたいスポーツクラブではなく空手がいい。でも…

極真空手 過去の経験から不安がよぎるのではないでしょうか?

経験者の多くが肉体的にも精神的にも過酷な経験をされたことと思います…
実際に再入門される方の多くが、そうおっしゃいます。
怪我が多いのは…
先輩にやられるスパーリングは…
年齢に合った方法か…?

そんな不安がある方は是非、見学にこられ確認して下さい。

空手とは?武道とは?
加齢に負けない肉体、精神とは?

六本木・新橋道場では武道が本来持っている「理合」「術理」を中心に稽古しています。
武道はスポーツと違い、稽古次第で年々術技の次元を上昇していける世界ですので、歳をとっても稽古を継続しながら極めていける世界です。
スポーツは年々、筋肉量・瞬発力・持久力が衰えていきます…
稽古量・時間に反比例し弱くなっていきます。
極真空手
空手・武道経験者の方であれば、そこに不安をかかえながら稽古をされたり、それが理由で道を諦めたのではないでしょうか?
ただしょうがありません、極真空手の道場へ入門され稽古された方々なら経験されたことがあると思いますが、有段者のほとんどが選手出身者でウエイトトレーニングで身体を作っています。

私自身も競技空手出身であり20代はウエイトトレーニングで筋肉腕力を維持していましたし、36歳まで発想は変わりませんでした…
発想の転換、心の柔軟性がかけていました。

極真空手 現役時代はウエイトトレーニングで筋肉量を付けたことで、突き蹴りが強くなったと、威力の源泉が筋肉だと一般常識のように固定観念化しそれ以外の発想を疑いませんでした…
それが、ルール空手競技の成績イコール、武道が出来ていると錯覚していました。

実際に私もできたツモリ、思い上がりになっていました…
私自身、30代後半になり今後、今までのような筋肉腕力が力の源泉による空手では50代60代になった時には…?
と深く真剣に考えるようになりました。

自分では技を磨いていたつもりだったのですが、歳を取るとともに技に加齢の変化が出てくるようになり、不安を感じるようになりました…
「このままでは…」
「稽古を継続していても、何もないのかな…?」
漠然とした不安をかかえながら20代と同じ稽古をしていました。

ですが武道家が稽古しなくなっては武道家ではなく、スポーツトレーナーとなってしまいます…
しかし、腕力筋力に頼らない「力」「術技」に関しては本当のところ分かりませんでした…
多くの引退選手、多くの40代以上の稽古生もこの問題を心の片隅でかかえています。

「腕力」「筋肉」に頼らない「力」とは?
体力・腕力任せに変わる技とは?
多くの方が疑問不安をもっているのではないでしょうか?

その問題を解決するべく研究稽古しました。
今まで出来たと思い込み、自分自身が当たり前に稽古していた基本の型・移動の型・応用の型を疑い、一つ一つ見直していきました。
極真空手
武道とスポースの違い、ウエイトトレーニングではない力の養成。
様々な武道を研究し仮説検証し数年以上が経過しました。

実際に武道として空手に取り組む中で、全くできていなかったと痛感し冷静に空手と接するようになりました(笑)
様々な武道には「筋肉」「腕力」に頼らない「理合」「術理」があることに気付き、気になる武道から「理合」抽出し、自分自身で稽古していきました。
武道本来の「理合」「術理」が数年かかりましたが、少しだけ分かってきたように思います。

どの武道にも「理合」があり、人間の持つ弱い所に術技をかけたり、相手が必ず弱くなる状況・条件にもっていく「術理」が古来武道稽古の中に内包されています。

その暗号が普段稽古していた基本の型、移動の型、応用の型、組手の型に無数にある事に気付きました。
空手・武道経験者の方々は、すでにダイヤの原石を持っているのです。
足元に金山がある事にきづいていなかっただけなのです。

原石であることを見抜き、資源(衰えない力)を稽古で養成していくことで40代50代でも、稽古量・時間イコール自分史上最強・最高への「道」となっていきます。

極真空手

見学の感想

会社員 YA 60歳

「これは?!…」と全く「目から鱗が落ちるとはこういうことか!」と思いました。

自分自身は高段者ではありませんが、、 過去数人年の人生の中で多くの卓越した 空手家を目の当たりにする幸運に恵まれました。
極真会館や極真出身者である国内外の師範の方々です。
まさに「空手バカ一代」に代表される綺羅星達等です。

しかし、志田師範の率いる稽古を見学させて頂いているうちに、それらが全て 何か古臭い、次元の低い形に思えて来てしまったので自分の心の中で驚く同時に 「もしかして、これが21世紀の空手なのか?」などと考えてしまいました。
正直言って、或る意味で狐につままれたような気持ちです。
とは言え、心のどこか深い所では「これは本物だよ!」という ガッツフィーリングがするのです。

一生懸命、稽古に汗を流す生徒さん達を見ながら この人達は、いま習っている価値や 武道の奥深さを教えてもらえて どんなに幸運かと思いました。

私はあとどれだけ残っているか分からない命 そして志田師範について学びたいと思いました。
本心から、これは新しい時代のための空手だと信じます。
この出会いに感謝いたします。


会社員 DI 40歳

はじめ、空手道場のウェブサイトで師範による プログを読んで「???」と狐につままれてしまった。 と同時に「もしかしたら何か深いモノがあるかも?」と 道場の見学を申し込んでみた。

目の当たりにした練習は、今まで稽古で学んできた 「より強大な破壊力を持つ技」への追求しか知らない僕の目には フシギとしか映らない技の練習であった。
「目から鱗」とはこのことか?!
どう考えても深そうだし、「本物」という気がしてならない。
早速入門を請い、八年ぶりに道着の袖に手を通した。 もちろん白帯をしめて!
初めての練習をすませる。
志田師範の技と心の深さに接し「やはり入門して良かった!」と思う。
経験者の私が思うにこの道場はいろいろな理由で 現在は空手から遠ざかっている人々に「帰っておいでよーー!と言っているような、、、 武道本来の姿を停めた「ふるさと」のようなところではないだろうかと思う。


不動産関係 TK 50歳

日本橋に勤務する会社員です。2005年6月下旬に門下生となりました。

入門のきっかけは入門する数日前に六本木道場前の路上で支部の紹介チラシを持ち帰り、内容を読んで、 「これだ!」と直感したことです。
それまで、漠然とJapanValue:「日本の価値」を何らかの方法で「関与」「実践」したいと思っていたこと、 自身の年齢に鑑み心身共に鍛えなおす方法を探していたからです。

求めていたものは、それまでの自分にとって全く未知の大きな精神的価値を追求できるもの、全くの素人としてスタートできるもの、 昔の学生時代や今の会社や子供のPTA集団などの所属や活動以外の、全く新たな老若男女の集団に飛び込むこと、もちろん平日の会社帰りにできること、 以上の全てにあてはまるものであると思ったからです。部下や道具を使わない、自分自身で鍛え自身を見詰める所作も大事です。

 数日後、入門に必要なものなどを持参して新橋道場の稽古を見学しました。当日は夏の昇級審査会直前の稽古となり 良い緊張感が漂う中、熱のこもった場所になっていました。

 以来、30週経過する間に33回、道衣に袖を通しました。道場の皆様は仕事をもっている方々ばかりにお見受けいたしますが、 自分も含めて、毎日夜遅くまでの仕事だけではない生活を気に入っていますし、稽古に参加するために仕事をやりくりすることも価値があると思います。 稽古の回を重ねるにつけ、少しずつ習得がすすみ、所作もスムースになり、ますます楽しく汗をかいています。
各種稽古の間、頻繁に発する気合の大声や、師範の指示などに対し「了解」を表現する「押忍!」を数多く発声することで日頃のストレスが解消されます。

 道場の志田師範は選手時代に研鑚を極められた方であり、私達に技の要領や効果、意味合いを分かり易く解説してくれます。解剖学的な骨格と筋肉の状態や 効果的な運動エネルギーの作り方、スタミナ保持の方法など、ご自身の発見を合理的に教えてくれます。

 師範は門下生に長足の進歩を求めない、「できないことばかりの中で少しだけできることがある」と話されます。新しい事を始めるのに助かる言葉です。

 極真会館では神様と同様に尊敬できる「黒帯」とスタートしたばかりの初心者である「白帯」の間に5色の帯、10級にわたるステップがあり、3ケ月から半年に1度、 自身の級を進めることが門下生の励みにもなっています。稽古中に、同じ色の帯同士で稽古をしたり、上の帯の人が下の帯の人に教える伝統があります。 道場の皆様は、ご自身の帯の重みを自覚され稽古に励んでいらっしゃいます。

 その日の稽古が終わると稽古に参加した全員が1列となり他の全員に挨拶をし、全員で道場の掃除をします。絞った雑巾で道場の床の拭き掃除をするとき 稽古のあとの爽快な気分になります。

 今後の私の目標としては、毎週1回以上は新橋道場か六本木道場の稽古に参加することと、気持ちを鍛えて強くなることです。よろしくお願いします。 押忍!