師範・志田から学べること/指導指針

極真空手
武道とは年齢、加齢に左右されない「衰えない力」

多くの方々が空手をスポーツと誤解されています。
空手はスポーツと少し違います。
ですが、空手も競技化が進み、ルール(様式)上の技や姿、競技している空手が一般的に空手と認識されるようになり、スポーツと同一視されています。
スポーツは年齢、加齢とともにパフォーマンスが落ちていきます。
極真空手

ゴルフの飛距離、短距離走、野球やサッカーをみていても、40歳以上の選手はほとんどいません。
練習しても、年齢をカバーする事が困難になっていきます。

極真空手 では武道はどうでしょう?
空手の稽古、武道の目的はなんなのでしょうか?

武道空手において稽古する目的を一言でいえば「衰えない力」の養成です。
年齢、加齢に左右されない「衰えない力」の養成は稽古すれば、誰でも養成されてゆきます。
衰えない力は「理合(りあい)・術理」を学び、理合と術理のある稽古を繰り返すことで身に付きます。

六本木・新橋道場では毎回の稽古で自然に「理合・術理」が身に付くように、稽古内容が組み立てられているので性別、年齢に関係なく、誰でも修得可能なので、40代50代からでも大丈夫です。
武道を始めることに、遅いという事は全くありません。

理合(りあい)とは

「理合」とはなんでしょうか?
理合とは「理にかなっている」という意味で術理とは「理にかなった技」です。
古来より武道ではこれを理合と呼んでいます。

極真空手 人間は必ず弱くなる瞬間や箇所があり、そのような状況、状態にされると非常に弱くなり、場合によっては抵抗できなくなります。
最悪の場合は無力化状態になってしまいます…
技を防げない状況です。

分かりやすく一つだけ初歩的な術理を説明をすると、人間は息を吸う時に弱くなります。
呼吸している時には、息を吐く時は腹筋を絞めやすいですが息を吸う時は、非常に腹筋が絞めにくいので、その瞬間にお腹に突きをもらうと

「フッ…!」

効きます…
女性のパンチでも効きます。

このように、人間には弱い箇所・状況はいくらでもあります。
実際には稽古しないとこのようなタイミングで技をかけることはできませんが人間の原理として必ずあります。
武道ではそのような技術、理にかなった身体操作を理合・術理と呼んでいます。

極真空手
理合・術理を稽古していくと体力腕力をなるべく使わなくなるのでスタミナの消耗も少なくなり、量力の100%の力でやっていた技も稽古すれば50%以下にすることも出来るようになっていきます。
腕力体力を技術力でカバーしていけるのです。

繰り返し繰り返し稽古していくと確実に身に付いていき、40代50代でも理合のある身体操作、術理のとれた術技が増え一度、身に付けると生涯レベルが落ちません。

極真空手 このような技術を稽古で身に付けると職人さんのように一生使えます。
飲食店のシェフや板前さんのように腕を磨くのと同じと考えると分かりやすいかもしれません。
職人さんは腕前が落ちる事はありません。年々磨きがかかっていきます。
身体的には加齢しますが、技術は高みへと向かっています。
「理合・術理」のある稽古は、身体の中に技術という「資産」をストックできます。
それを武道では「身体脳」と呼んでいます。
理合・術理は普遍的なものが多いので時代が変わり科学技術が発達しても通用する技術です。

六本木・新橋道場では40歳以上からでも十分、強くなれる武道技術の体得を目指し稽古していただいています。
以外ですが、じつは武道技術は40代以上からが面白いのです。

20代〜30代前半までは技術よりも体力でカバーできるので、ついつい力まかせ、体力まかせなってしまいます。
35歳以上からは加齢に対していかに技術を磨き、技術で相手を制していくかを追求していかなくては本当の強さへ向かうことはできません。
稽古を継続していっても加齢と共に通用しなくなっては意味がありません…

稽古量・稽古時間と強さ技術力が比例しなければ武道ではなくスポーツになります。
ですが急いだり、焦ってはいけません。
武道的な身体操作は一般的なスポーツと違います。
ご自身のペースで稽古して下さい。
理合のある術技を少しずつ体得して行けばよいのです。
極真空手
理合ある術技を稽古すれば少しずつ相手を制する「力」が養成され、精神力もついて行きます。
応援しています。

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見学の感想

会社員 YA 60歳

「これは?!…」と全く「目から鱗が落ちるとはこういうことか!」と思いました。

自分自身は高段者ではありませんが、、 過去数人年の人生の中で多くの卓越した 空手家を目の当たりにする幸運に恵まれました。
極真会館や極真出身者である国内外の師範の方々です。
まさに「空手バカ一代」に代表される綺羅星達等です。

しかし、志田師範の率いる稽古を見学させて頂いているうちに、それらが全て 何か古臭い、次元の低い形に思えて来てしまったので自分の心の中で驚く同時に 「もしかして、これが21世紀の空手なのか?」などと考えてしまいました。
正直言って、或る意味で狐につままれたような気持ちです。
とは言え、心のどこか深い所では「これは本物だよ!」という ガッツフィーリングがするのです。

一生懸命、稽古に汗を流す生徒さん達を見ながら この人達は、いま習っている価値や 武道の奥深さを教えてもらえて どんなに幸運かと思いました。

私はあとどれだけ残っているか分からない命 そして志田師範について学びたいと思いました。
本心から、これは新しい時代のための空手だと信じます。
この出会いに感謝いたします。


会社員 DI 40歳

はじめ、空手道場のウェブサイトで師範による プログを読んで「???」と狐につままれてしまった。 と同時に「もしかしたら何か深いモノがあるかも?」と 道場の見学を申し込んでみた。

目の当たりにした練習は、今まで稽古で学んできた 「より強大な破壊力を持つ技」への追求しか知らない僕の目には フシギとしか映らない技の練習であった。
「目から鱗」とはこのことか?!
どう考えても深そうだし、「本物」という気がしてならない。
早速入門を請い、八年ぶりに道着の袖に手を通した。 もちろん白帯をしめて!
初めての練習をすませる。
志田師範の技と心の深さに接し「やはり入門して良かった!」と思う。
経験者の私が思うにこの道場はいろいろな理由で 現在は空手から遠ざかっている人々に「帰っておいでよーー!と言っているような、、、 武道本来の姿を停めた「ふるさと」のようなところではないだろうかと思う。


不動産関係 TK 50歳

日本橋に勤務する会社員です。2005年6月下旬に門下生となりました。

入門のきっかけは入門する数日前に六本木道場前の路上で支部の紹介チラシを持ち帰り、内容を読んで、 「これだ!」と直感したことです。
それまで、漠然とJapanValue:「日本の価値」を何らかの方法で「関与」「実践」したいと思っていたこと、 自身の年齢に鑑み心身共に鍛えなおす方法を探していたからです。

求めていたものは、それまでの自分にとって全く未知の大きな精神的価値を追求できるもの、全くの素人としてスタートできるもの、 昔の学生時代や今の会社や子供のPTA集団などの所属や活動以外の、全く新たな老若男女の集団に飛び込むこと、もちろん平日の会社帰りにできること、 以上の全てにあてはまるものであると思ったからです。部下や道具を使わない、自分自身で鍛え自身を見詰める所作も大事です。

 数日後、入門に必要なものなどを持参して新橋道場の稽古を見学しました。当日は夏の昇級審査会直前の稽古となり 良い緊張感が漂う中、熱のこもった場所になっていました。

 以来、30週経過する間に33回、道衣に袖を通しました。道場の皆様は仕事をもっている方々ばかりにお見受けいたしますが、 自分も含めて、毎日夜遅くまでの仕事だけではない生活を気に入っていますし、稽古に参加するために仕事をやりくりすることも価値があると思います。 稽古の回を重ねるにつけ、少しずつ習得がすすみ、所作もスムースになり、ますます楽しく汗をかいています。
各種稽古の間、頻繁に発する気合の大声や、師範の指示などに対し「了解」を表現する「押忍!」を数多く発声することで日頃のストレスが解消されます。

 道場の志田師範は選手時代に研鑚を極められた方であり、私達に技の要領や効果、意味合いを分かり易く解説してくれます。解剖学的な骨格と筋肉の状態や 効果的な運動エネルギーの作り方、スタミナ保持の方法など、ご自身の発見を合理的に教えてくれます。

 師範は門下生に長足の進歩を求めない、「できないことばかりの中で少しだけできることがある」と話されます。新しい事を始めるのに助かる言葉です。

 極真会館では神様と同様に尊敬できる「黒帯」とスタートしたばかりの初心者である「白帯」の間に5色の帯、10級にわたるステップがあり、3ケ月から半年に1度、 自身の級を進めることが門下生の励みにもなっています。稽古中に、同じ色の帯同士で稽古をしたり、上の帯の人が下の帯の人に教える伝統があります。 道場の皆様は、ご自身の帯の重みを自覚され稽古に励んでいらっしゃいます。

 その日の稽古が終わると稽古に参加した全員が1列となり他の全員に挨拶をし、全員で道場の掃除をします。絞った雑巾で道場の床の拭き掃除をするとき 稽古のあとの爽快な気分になります。

 今後の私の目標としては、毎週1回以上は新橋道場か六本木道場の稽古に参加することと、気持ちを鍛えて強くなることです。よろしくお願いします。 押忍!